良寛巡礼のハイライトは五合庵である。国上山(くがみやま)の中腹にある真言宗・国上寺(こくじょうじ)住職の隠居所であった。良寛はここで40歳から59歳を過ごしている。水上勉氏は、「清貧孤独の五合庵は、良寛の文芸・思想のすべてが投げ込まれて、独自の開花をみせる根拠地でもあった」と述べています。托鉢で食を得、こどもと遊ぶ、杉木立の中の生活であった。〈文責:校長〉撮影2008.5.5 ※水上勉「良寛を歩く一休を歩く」NHK出版参照                                                                                                                                                           秋は高し木立は古(ふ)りぬこのやかた  良寛                                                                                           春風の五合庵、杉木立と青葉の中の五合庵、秋月夜の五合庵、雪に埋もれる五合庵。五合庵の四季は、良寛さまの衣のようである。                                                                                                                                                   盗人にとり残されし窓の月  良寛                                                                                                                               「五合庵へ賊の入りたるあとにて」の前書きのある句。清貧の良寛さんから物を盗ろうというのである。どろぼうは何も盗る物がなく、良寛さんの寝ていた蒲団を持って逃げた。月が盗まれなかったのをよろこぶ良寛さんであった。                                                                    旅人は旅をつゞけようとする残雪の山の大きさ  一碧楼                                 国上山(くがみやま)は海岸近くの低い山である。良寛さまはやさしげな里山のようでもあり、日本人の心に高くそびゆる富士山のようでもある。                                              ◆良寛さんは五合庵を出て、乙子神社の一隅や、和島村の木村家などに居を移した。その間、若い尼さんとの交際もあった。残念ながら、乙子神社以降の関連施設は訪ねていない。いつの日か、訪ね、続きを書きたいと思う。                                                                                         ◆玉島商高は11月12日、玉島文化センターで人権教育の研究発表会を開催します。研究の中枢として実施した「良寛研究」にちなみ、良寛さんゆかりの地を紹介しています。