《 良寛生誕地(橘屋跡)に建つ良寛堂 》                                              新潟県三島郡出雲崎町のHPには、『良寛さまの心の古里いずもざき』という永遠のキャッチフレーズと、歌手・ジェロの写真付きで『「海雪」の舞台・出雲崎町』という今様のキャッチフレーズが併記されている。良寛が生まれた出雲崎は、江戸時代は倉敷と同じ天領で、佐渡金山の荷を積み降ろす重要な港でした。裕福な庄屋「橘屋」の跡取りの良寛は、佐渡を見て育ち、家を継ぐことを拒み、仏門に入りました。                                  玉島商高は11月12日、玉島文化センターで人権教育の研究発表会を開催します。研究の中枢として実施した「良寛研究」にちなみ、良寛さんゆかりの地を紹介します。〈文責:校長〉撮影2008.5.5                                                                                                                                                   古に変はらぬものは荒磯海(ありそみ)と向かひに見ゆる佐渡の島なり 良寛                                    玉島での修行の後、数年の諸国行脚を経て新潟に帰った良寛に、ふるさとはどう映ったのであろう。正式に寺に入ることなく、誰にも仕えず、里に遊び子どもと遊んだ良寛さんであった。                                                                                        このたびは単衣(ひとえ)にて来し越後国ゆうべ空の片雲  一碧楼                                        先日、山下清展に行った。山下清は、ランニング半パン姿のイメージが強いが、浴衣姿が多かったようである。修復され、色を取り戻した代表作「長岡の花火」をはじめ、山下には新潟に関する作品が多い。その中の一枚に、油田の掘削井戸が描かれている一枚があった。出雲崎は、日本石油産業発祥の地でもある。同じく、一碧楼にも新潟の句が多い。因縁を感じる。 ※片雲(へんうん)…ちぎれぐも。                                                                       ★中塚一碧楼(なかつか いっぺきろう 1887~1946)…玉島勇崎出身の俳人。河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加。【広辞苑】に人名掲載。                                                     海雪の海屹立(きつりつ)の油井かな  玉                                         この夏、秋田市の美術館で藤田嗣治の大作『秋田の行事』を見た。タタミ26畳分という大壁画で、油井もしっかり描かれていた。秋田の八橋油田は現役で操業している。その様子もしっかりと観察した。出雲崎の油井は、浅い海底に建つものが多かったようである。