〈写真〉 左:弥彦神社大鳥居(百景69)、中:寺泊“魚のアメ横”、右:佐渡島たらい舟(百景69)                                                                                                      〈撮影〉 左・中:2008.5.5、 右:1974.9.13                                                        三十九歳で越後に還った良寛さんは、生地出雲崎には還らず、寺泊に住むことになる。「空庵(くうあん)」、「密蔵院」と居を移し、ひたすら詩作三昧にふける。水上勉氏は、「弟子もとらず、経もよまず、葬式も法事もせず…、まったく寺に背をむけた、乞食三昧、詩歌の道に入る…。文芸の人良寛の誕生である。」と表している。〈文責:校長〉                                                                           ※水上勉「良寛を歩く 一休を歩く」NHK出版参照                                                          来てみればわが故郷は荒れにけり庭も籬(まがき)も落葉のみして 良寛                                                                  荒れるにまかせた出雲崎の生家を見て、立ち寄ることもできず、出雲崎を通りすぎて寺泊まで来てしまったのである。                                                                                                                              ゆく秋のあわれを誰(たれ)にかたらまし  良寛                                             晩秋のひとり寂しい夜、良寛さんもわびしい。                                                             故郷の水の味昼千鳥(ちどり)なく  一碧楼  ※千鳥…冬の季語                                        河の流れ柿を一つ食ひてねむる夜  一壁楼                                                                                              記憶にあるふるさととは違う光景にとまどう良寛さま。さびしいではないか。水の味にふるさとを感じるも、知己(ちき)の多くはすでに去っていた。  ※知己…知人。親友                                                          ◆玉島商高は11月12日、玉島文化センターで人権教育の研究発表会を開催します。研究の中枢として実施した「良寛研究」にちなみ、良寛さんゆかりの地を紹介しています。