昭和59年(1984年)の定期考査中、不思議なことに気がついた。前屈みで机上の問題を解く男子の列に一本の谷ができているのである。隣の列も、その隣の列も同じであった。昭和50年代、高校生は元気で、街ではパンチパーマが流行、頭髪指導が大変だった。谷の正体は、男子生徒の髪の「真ん中分け」だった。この時から高校生はおとなしくなった。“チェッカーズ(ボーカル=藤井フミヤ)”が頭髪指導を過去のものにした瞬間であった。女子高校生は、松田聖子の出現でやはりおとなしくなっていった。                                                                         さて、玉商の自転車置き場である。俗称「ママチャリ」と呼ばれる「シティサイクル」が圧倒的に多い。それも、変速機なしの原色のものが相当数ある。男子高校生のほとんどがスポーツタイプの変速機付き自転車だった頃と隔世の感がある。分析はできるが、さびしくなるのでやめておきたい。〈文責:校長〉撮影2010.11.5                                                                           秋の日のわッかくあかるいうーたごえよ  玉                                                                           先日亡くなられた映画俳優の池部良さんが出演された映画「青い山脈」(1949年)は、終戦直後の旧制女学校(現在の高校)が舞台となっている。若くはつらつとした青春映画だが、出てくる女学生がなぜか老けて見える。原因は、パーマをかけている女生徒が多いからだ。今なら全員、頭髪規定違反の指導対象である。                                                                                     コスモスあからさまに少女がひと時ひと時過ぐる  一碧楼                                                                 学園生活の1シーン1シーンごとに高校生は変化していく。それを積み重ねたものを成長という。これは不易流行である。                                                                                                                                   ★中塚一碧楼(なかつか いっぺきろう 1887~1946)…玉島勇崎出身の俳人。河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加。【広辞苑】に人名掲載。