〈写真〉上:夢のうき橋 ※写真の文字は、右から左へ読む 〈写真〉下左:案内版 下中:「夢のうき橋」から地獄橋方面を見る 下右:地獄橋 【玉商百景78】里見川「昭和橋」トリオのコメントを書いていて、どうしても気になるので追加取材を決行した。 春の夕靄(もや)立つ二つの橋を二つ渡つた 一碧楼 という句を【玉商百景15】で取り上げた。この「二つの橋を二つ渡つた」というところが、どうにもひっかかるのである。昭和橋を東から西に渡り右へ折れると仲買町・西町そして金光へとつづく旧道となる。倉敷の美観地区に勝とも劣らない、美しい白壁通りがつづく街並み保存地区となっている。ここに、『夢のうき橋』と『地獄橋』という二つの小さな小さな橋がある。一碧楼は若い頃、小さな二つの橋付近にある歓楽街に時を過ごすことがあった。ふるさとを詠んだ句が多い一碧楼が、この二つの橋を、意図的にあるいは無意識のうちに句の中に詠み込んだとしても不思議ではない。〈文責:校長〉撮影11月17日 神の留守ゆめのうき橋ぢごく橋 玉 神無月である。出雲へ発たれて神様不在の地域は「神の留守」となり、神々の集われる出雲は「神有月」となる。道中は「神の旅」である。昭和の或る時まで、日本各地に、恒常的に神の留守ともいえる場所があった。出入りには、橋を渡り、門をくぐらなければならなかった。 ★中塚一碧楼(なかつか いっぺきろう 1887~1946)…玉島勇崎出身の俳人。河東碧梧桐の新傾向俳句運動に参加。【広辞苑】に人名掲載。