〈元義の生家近くの玉島陶(すえ)神社〉                                                                                 平賀元義(ひらが もとよし):正岡子規に「万葉集以来唯一の歌人」と激賞された。1800年、母の実家のある玉島陶(すえ)生まれ岡山藩士。成人して脱藩。備前、備中、美作を放浪し多くの短歌を作った。死後、子規に見いだされた。残念だが、玉島を直接詠んだ歌を私は知らない。〈文責:校長〉撮影11月4日                                                                                                                                                                                 大公の 三門 国守 万成坂 月おもしろしわれひとりゆく  元義
(おおきみの  みかど  くにもり  まなりざか) ※大公は枕詞的用法で意味はない                                                                           この歌を紹介したくて平賀元義を取り上げた。三門(みかど)、国守、万成(まんなり)は、現
岡山市関西高校近辺の地名である。私は万成に住んでいる。万成は石の産地で、東京の神宮絵画館や新宿伊勢丹ビルなどに万成石が使われている。元義は、岡山城下から山陽道で三門を通り、月を見ながら万成坂(万成峠)を越え、吉備津方面の歓楽地に向かった。今、私は同じ道を、逆方向にウォーキングコンテストのため、毎夜二万歩めざし歩いている。                                                                                     夕焼けを飲み込む闇が吐き出した銀河で顔を洗うとしよう   玉                                                        〈1996年 読売新聞 読売歌壇 俵万智選〉評:「あかあかと燃える夕焼けも鎮まり、やがて銀河が広がる。その過程を、闇を主語にして、闇が夕焼けを呑み込み、闇が銀河を吐き出す、と表現したところがおもしろい。スケールの大きい結句も、楽しい。」                                                                                          初秋の散歩中、万成から吉備中山に沈む夕陽を見て作ったものである。元義も万成坂で吉備中山にかかる月や夕焼けを見たに違いない。それだけで、毎夜歩くことが楽しくなる。