〈写真〉上:『浦川』と説明のある昭和5年度第2回卒業記念アルバムの写真                                                                                                        下:学校西側の道口川(前方に見える橋と道路は国道429号線)

当時、大正橋が今の焼肉ポプラの前に架かっていたことを考えれば、ほぼ同じ位置からの写真といえる。昭和五年の写真の右上にある変電所は、現変電所の位置と変わらない。道口川は、「浦川」と呼ばれていたらしい。川沿いの小屋は、四つ手網小屋である。道口川から玉島港、さらにその外縁部にたくさんの四つ手網小屋があったようだ。四つ手網は、平成に入ってもたくさん残っていたが、残念ながら、玉島に氾濫と高潮で大きな被害を与えた平成16年8月の台風第16号の襲来後、全て撤去されてしまった。学校のグランド横に四つ手網小屋があったと考えるだけで、正月から楽しくなってきた。〈文責:校長〉撮影平成23年1月4日                                                                                                                                        星空となる一つの四つ手の獲(え)もの      一碧楼                                                                                     煤降(すすふ)るなか明方の彼等が四つ手   一碧楼
一句目、四つ手網は夜のものである。星空の下、四つ手網の上の獲物が光る。ベイカ、ベカ、ベーカと呼ばれる小さな烏賊(いか)が踊る。そのまま、醤油をつけてのどに流し込む。とろけるうまさがたまらない(聞いた話)。季節によっては、アミやシラウオ、それにドンコなども獲れたようである。網をトントンと柄杓(ひしゃく)で叩いて獲物をすくう。一度このトントンをやってみたい。                                                                 二句目、「煤降(すすふ)る」は、獲物をおびき寄せる灯りに、カーバイトを使ったために出る「煤」と思われる。今なら、電灯の灯りということになる。四つ手はおもしろい、仲間とわいわいやっていると時間を忘れる。もう夜明けだ。撤去されてしまったが、風物詩として、行政の指導の下(もと)、復活できないものだろうか。生徒にやらせてみたい。