福沢諭吉が深く関わった商法講習所が、銀座尾張町で商業教育を始めたのは、明治8年のことでした。福沢先生は当初から、教室内に「バンク帳場」や郵便局、銀行仲買、物品仲買などを設けた『模擬商業実践』を導入しました。時が移り、人は替われど、商業教育の中心に「総合実戦」は生き続けています。玉商では、「スーパー実践くん」というソフトを利用した取引を中心に学習しています。〈文責:校長〉 鉄鉢(てっぱつ)に明日の米あり夕涼(ゆうすずみ) 良寛 良寛さまは托鉢に出て、椀に米があれば幸せである。 実学に維新の理あり蚊遣香(かやりこう) 玉 ※蚊遣香…蚊取り線香 複式簿記を日本に紹介し、貸方借方と訳したのも福沢諭吉である。