写真は三点とも高瀬通しの終着点あたりを探索中、築山製パン所さんの裏手付近で発見した、雨トイを利用して雨水をためる桶(おけ)や瓶(かめ)です。一般的には天水桶・天水瓶と呼びますが、岡山県の干拓地域では“天水井戸”と呼ぶことが多いようです。江戸の町では防火用などに使われていましたが、干拓地では飲料用も含めた生活用水として利用されました。天水井戸は、干拓から350年たった玉島の、干拓のDNAともいえる貴重な文化遺産です。ぜひ後世に引き継いでほしいものです。〈文責:校長〉撮影11月29日                                                                         家々ならんで海ずつと低い冬はじめ  一碧楼                                                                                                                                                  海が低いというのは、干潮か、崖の上など高い所に家があるのだろう。干拓地の海は陸に近いので、干潮ということにしよう。終戦直後の児島湾干拓地にあった教員住宅では、水道もなく、一日バケツ三杯で暮らしたと聞いたことがある。先人の労苦に感謝。                                                                           冬凪(ふゆなぎ)の玉島港や力石  玉                                                                                                                                                                              右の写真に“力石”と彫られた石がある。玉島港で積み卸しなどをしていた人たちが、鍛錬と娯楽のために使用した石である。力石は「打つべし」などと叩いてはいけない。