かって高瀬舟が往来した「高瀬通し」の堤防の上にあった“ハゼの木”が、三百五十年の時を越えてしっかりと残っています。溜川(ためがわ)の西岸付近からほぼ一直線に北方へ向かう高瀬通し沿いに、上の木を含めて四本残っています。内、三本を紹介します。ハゼは「櫨」と書き、実からロウソクを作りました。ハゼの木は秋に美しく紅葉し、櫨紅葉(ハゼもみじ)と呼ばれます。〈文責:校長〉撮影11月30日
〈写真上〉山陽本線南側にあるハゼの木 紅葉が美しい 〈写真下〉左:二号線に近い櫨 中:高瀬通し上の山陽本線 右:四車線道路沿いの櫨 紅葉日が暮れた山をうごかしたいと思ふ見てゐる 一碧楼 (もみじのきれいな秋の日暮れに、山を動かしたいと思って見ている) 玉島港から高瀬通しで上流に行くと、ハゼの木が残る直線路の前方に、くらしき作陽大学のある小高い山が見える。高瀬通しは山のふもとの爪崎で大きく右に回り、長尾方面に向かう。回らずそのまま真っ直ぐ行くことができれば、高梁川上流の美袋(みなぎ)に出る。そのことを知っている荷を運ぶ人々が、山を動かしたいと思ったとしても不思議ではない。 ハゼもみじ玉島往来と申す 玉 ※玉島往来(たましまおうらい) 玉商から吉備中央町にある総合教育センターに年に何回も出張する。どこを通れば早いか色々試した結果、玉島から玉島インター・真備町箭田・美袋・高梁・賀陽インターという経路に落ち着いた。早いし快適なのである。実はこの『玉島から玉島インター・真備町箭田・美袋』という経路こそが、江戸時代から続く街道“玉島往来”なのである。高梁からの物資は、物は高瀬通しで、人は玉島往来を通った。このことを知ってから、このルートを通ることが楽しくてしかたない。