《甲子園初出場-野球部》  昭和30年8月、野球部が念願の甲子園初出場を果たした。好投手大島を擁した玉島高校野球部は夏の大会東中国予選で宿敵倉工を5-0で破って甲子園行きの切符を手にした。甲子園大会第二日桐生高(北関東)と対戦したが、惜しくも1-3で敗れた。しかし強豪を相手に見事な初陣ぶりだった。この時地元玉島からは列車・バスそして港町玉島らしく汽船で約千人の市民が応援に駆けつけた。ナインのほとんどが商業科の生徒であった。【創立70周年記念誌より】                                                                                                                                           甲子園準優勝2回という稲川東一郎監督率いる強豪桐生高校。昭和42年、稲川氏は公式戦中に倒れ、ユニフォーム姿のまま亡くなられた。甲子園でもう一度対戦したい。という思いで旅行先の桐生市で撮影しました。〈文責:校長〉8月8日撮影                                                         夏めく一つの机があり少女きっちりすわり  一碧楼                                          校門の中にはそんな女生徒がいそうである。開校以来男子校であった桐生高校は、平成10年から男女共学の理数科を設置している。                                                                     上州の人のやさしく夏の門  玉